「清廉潔白を貫き通すガンコもの」浅野内匠頭

名前   : 浅野内匠頭長矩 (あさの たくみのかみ ながのり)
コピー  : 清廉潔白を貫き通すガンコもの

浅野内匠頭jpg


 ■ キャラクター

「人となり強硬にして、ために屈せず(=いちずで一本気な性格なので卑屈に頭を下げることができない)」と言われていた。清廉潔白を貫き通し、筋の通らないことが大キライ。その性格からか、江戸時代のお殿さまには珍しく、側室持たなかった。

 


■ 刃傷事件まで ~筋を通す山鹿流のお殿さま~

幼少の頃に両親を亡くし、たった9歳で家を継ぐ。素晴らしいお殿さまと評判が高かったおじいちゃん(浅野長直)を尊敬している。また、おじいちゃんが赤穂に迎え入れたという山鹿素行(やまが そこう)という儒学者に幼少期から教育をうけて、彼の考え方(山鹿流)に心酔していた。
17歳の時に勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)を務め上げ、35歳の時に2度めの勅使饗応役に指名される。どちらのときも、上司にあたる指南役は吉良上野介(きら こうずけのすけ)という人であった。

 


■ 刃傷事件 ~この間の遺恨覚えたるか~

2度めの勅使饗応役のとき、江戸城の中で「この間の遺恨覚えたるか(このまえ受けたひどい恨みを覚えているか!)」と叫びながら、浅野内匠頭は吉良上野介に斬りかかった(刃傷事件)。幕府に捕らえられた内匠頭が何と答えたかについては確かな史料はなく、上野介に個人的な恨みがあって刃傷に及んだとは言ったが、詳しい動機や経緯は明かさなかった。近年発見された資料から、もっとも有力な説とされているのは上野介による内匠頭へのいじめが原因であるという説だ。

このとき、吉良上野介は幕府から何の罪にも問われなかったが、内匠頭はその日のうちに切腹するよう命令があり、田村邸の庭先で切腹。その後、その亡きがらは、家臣の手によって泉岳寺(せんがくじ)に葬られた。
浅野内匠頭のみが罰せられたということだけでなく、通常身分の高い武士は畳の上での切腹するのが普通であったが庭での切腹をさせられた、ということもあり、残された赤穂藩士たちは「お殿さまはさぞかし悔しかっただろう」と悲しみ、仇討ちへと向かうことになる。

 


■ 辞世の句

風さそふ 花よりもなお我はまた 春の名残をいかにとやせむ
享年35歳(元禄14年3月14日、切腹)

 


■ 博士のコメント

内匠頭さんは、頭痛もちだったんですよねー。
刃傷事件の日は、朝から曇ってて、相当気分が悪かった可能性があるんですよねー。イライラしてる所に、吉良さんから、
「きみ、田舎者だから、何言ってるかわからないよ」とか言われて、
赤穂弁で、
「でーよんねおまはん!(何を言ってるお前!)、
 せーなこと言うんやったら(そんなこと言うのなら)
 ちゃっそ!(ぶちまわすぞ!)」
って感じでキレちゃったんじゃないでしょうかね?