「親子で討ち入りに参加したマジメなおじさん」 間瀬久太夫

名前 : 間瀬久太夫正明(ませ きゅうだゆう まさあき)
コピー: 親子で討ち入りに参加したマジメなおじさん
属性 : 赤穂四十七士

 

間瀬久太夫    間瀬久太夫

 


■  キャラクター

四十七士のひとりである間瀬孫九郎の父親。堀部弥兵衛間喜兵衛、吉田忠左衛門に次いで高齢(討ち入り時62歳)。
あまり目立たないが公平で正直なおじいさんで、みんなからとても信頼されていた。父親が山鹿素行から直接教えを受けていたということが、この真面目な久太夫の人格形成に影響したのかもしれない。


 

■  討ち入りまで

大目付(おおめつけ)という、そこそこえらい役職に就いていたため、筆頭家老(※1)の大石内蔵助、城代家老(※2)の大野九郎兵衛らとともに、赤穂城を明け渡す時の処理を行った。
息子の孫九郎は堀部安兵衛などの江戸急進派に所属し、江戸では義士たちの間の連絡係として活動していたが、久太夫は基本的には大石内蔵助に従った。
しかし、円山会議の時には、高齢のためことを急いでいた堀部弥兵衛に同調し、内蔵助につめよることもあったらしい。

※1 家臣のなかで一番えらい人
※2 城持ちの主君の留守中、城主に代わって城を守り、政務を行っていた家老


 

■ 討ち入り当日

息子の孫九郎と共に、親子で討ち入りに参加。表門組に属し、内蔵助らと司令部を構成し、戦いの指示を出した。
切腹時にお腹をこわしていたため、「もうお腹が痛いのはなおったけど、もし切腹した時に粗相してしまったら、ごめんなさい。」と周りの人を気遣ったエピソードは有名。


 

■ 辞世の句

雪とけて 心に叶ふ あした哉
享年63歳(元禄16年2月4日、切腹)


 

■ 博士のコメント

久太夫さんは、大目付という役職でした。いわゆる警察の人って感じですねー。切腹前におなかを壊して、汚いことになったらごめんねーって言った話は有名ですね。
久太夫さんのおうちは、赤穂城内の塩屋門から少し入ったところにありました。今も石柱が立っているのですぐわかりますよ。