田村邸

名称   :田村右京大夫建顕邸
    (たむら うぎょうだいぶ たつあき てい)
場所 : 東京都港区新橋4丁目

刃傷事件の後、浅野内匠頭が裁きを受け切腹をした場所。


 刃傷事件発生時に江戸城にいた陸奥国一関藩主 田村建顕(官名・右京太夫)は、老中の土屋相模守(つちや さがみのかみ)から浅野内匠頭を預かるように言われ、すぐさま屋敷に戻ると、家臣を江戸城に送り、平川門(江戸城内の罪人や死者を城外に出す際に使われて「不浄門」とも呼ばれていた)を通って内匠頭を屋敷に運ばせた。

当分の間浅野内匠頭を預かることになると考えていた田村建顕は、内匠頭が部屋から出られないよう、襖(ふすま)にくぎを打つなどの対応をしていた。しかし、内匠頭が屋敷に着いて2時間もたたない頃、目付の庄田安利(しょうだ やすとし)、多門重共(おかど しげとも)、大久保忠鎮(おおくぼ ただしげ)が屋敷を訪れ、内匠頭に即日切腹を言い渡した。

当時、大名や旗本の切腹は座敷で、それ以下の身分の者が庭先で行うとされていたため、田村建顕も座敷での切腹の準備に取りかかったが、庄田安利が「老中から白砂にてとのお達しがある」との主旨のことを伝えたため、異例の庭先での切腹となった。

現在、日比谷通りの新橋4丁目交差点脇の歩道には、浅野内匠頭が切腹した場所を示す「浅野内匠頭終焉之地」の石碑が建てられている。

 

田村邸