息継ぎ井戸

名称  :息継ぎ井戸(いきつぎいど)
場所  :赤穂市加里屋
                   ※2000年に移設。
                      当初は、現在の場所の道の向かいにある「みなと銀行」付近にあった。

息継ぎ井戸

 

元禄14年3月14日、赤穂藩主である主君・浅野内匠頭が江戸城で刃傷事件を起こしたことを大石内蔵助に知らせるべく、江戸にいた早水藤左衛門(当時37歳)と萱野三平(当時26歳)が早駕籠(はやかご ※1)で赤穂に向かった。その際、大石邸のほど近くにある井戸で水を飲み、息を整えてから大石内蔵助に事件の第一報を伝えたといわれている。この時に、2人が立ち寄った井戸が、この息継ぎ井戸である。

早駕籠での移動は、すさまじい揺れと振動を受け続ける移動であったため、それに耐えうるだけの体力が必要とされた。そのため、正使(せいし ※2)が30歳以上の年配者、介添え(かいぞえ ※3)は20歳以上の若者と決まっていたほどである。
通常でも過酷な移動であるのに、通常飛脚(ひきゃく ※4)が8日かかる江戸から赤穂までの155里(約600km)を、3月14日から3月19日の約4日半で移動したのだから、その過酷さたるや想像に難いものがある。
そんな移動で乱れた息や身なりを整えてから、上司である大石内蔵助に会いに行っていることからも、忠義を大切にしていたことが伺える。

 


※1 通常よりも急がせた、人を乗せて人力で運ぶ乗り物
※2 主任の使者
※3 主任の使者に付き添って世話をする人
※4 手紙や荷物をリレーしながら目的地まで届ける仕事をする人で、現在の郵便や電話のような役目