「義士たちの切腹を求めた儒学者」 荻生徂徠

名前  : 荻生徂徠(おぎゅう そらい)
コピー : 義士たちの切腹を求めた儒学者

 

元禄赤穂事件が起きた時代に活躍した儒学者(※1)、思想家。将軍である徳川綱吉(とくがわ つなよし)の側用人(そばようにん ※2)であった柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)とも古い友人で、綱吉の政策補佐官としても活躍した。

赤穂義士たちによる吉良邸討ち入りのあと、義士たちの処分について幕府のえらい人たちの間で話し合いをすることになり、政策補佐官であった徂徠もそれに参加。そのとき、「赤穂義士の行為は家臣として立派だが、浅野内匠頭は刃傷沙汰を起こして殿中抜刀で罰せられたので、厳格にいうと仇(かたき)は幕府のはず。それにもかかわらず主君の仇として吉良上野介を仇としてみだりに騒動を起こしたことは、法を犯したことになる。義士たちへの同情とは別に、法を犯したことに対する罪を問うべきであり、情のために法を曲げれば、法の権威が失われ治安を維持できなくなる」と主張した。その意見が綱吉に採用され、赤穂義士らは切腹となった。

 

※1 孔子の思想を基盤とする学問「儒学」を研究する人
※2 将軍の命令を部下に伝えたり、将軍の部下が決めたことを将軍に伝えたりする役職。幕府のトップである将軍、将軍の次くらいにえらい大老(たいろう)という役職の次くらいにえらいので、相当えらい人。

 

■ 博士のコメント
荻生徂徠さんが46人の切腹を将軍に進言したんですが、あのまま切腹せずに許されてたら、今の忠臣蔵の物語にはなってないでしょうねー。ヒーローが最後に死んじゃうなんてことは、普通はあんまりないことですから、余計に当時の人たちがかわいそうに感じたんだと思います。