泉岳寺

名称  : 泉岳寺(せんがくじ)
場所  : 東京都港区高輪2-11-1

泉岳寺本堂

 

 

 

 

 

 

 

 

1612年(慶長17年)、徳川家康が幼少期にお世話になった今川義元の供養をするために外桜田の地に建てられた。しかし、1641年(寛永18年)の火災で焼失。その後、徳川家光から泉岳寺再建の命令を受けた5大名(毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷)によって、現在の地で再建された。
浅野家の江戸における菩提寺(ぼだいじ ※1)であったため、刃傷事件の裁きとして切腹させられた浅野匠内頭は泉岳寺に埋葬され、主君である浅野匠内頭の仇(かたき)を討つために吉良邸に討ち入った赤穂義士もまた、裁きによる切腹後に泉岳寺に葬られた。

※1  お家代々の葬儀を行い、位牌を納めるお寺

 


● 中門・山門

泉岳寺には、もともと3つの門(総門・中門・山門)があったが、現在は中門と山門のみが残っている。
現在の中門は1836年(天保7年)に再建され、昭和7年に大修理が施された。
現在の山門は1832年(天保3年)に再建され、1階部分の天井には龍がはめ込まれている。

泉岳寺山門

 

 

 

 

 

 

 

 


● 本堂

現在の本堂は、1953年(昭和28年)鎌倉様式を用いて再建されたものである。以前の本堂は、第2次世界大戦で空襲に遭い焼失した。
ご本尊には、釈迦如来、曹洞宗の宗祖(しゅうそ ※2)である道元禅師(どうげんぜんじ)と瑩山禅師(けんざんぜんじ)、大石内蔵助の守り本尊(※3)である摩利支天(まりしてん)などが納められている。

※2 一つの宗教・宗派を興した人
※3 身の守りとして信仰する仏様

 


● 赤穂義士墓地

1703年(元禄16年)2月4日、討ち入りの裁きとして切腹を行った赤穂四十六義士の墓碑とともに討ち入りを熱望していたものの周囲の反対に思い悩み自害という道を選んだ「萱野三平」、大石内蔵助の命により討ち入りの様子を知らせるための生き証人として生かされたとされる「寺坂吉右衛門」、彼ら2名の供養墓を含め、合計48の墓碑がある。

泉岳寺義士墓所

 

 

 

 

 

 

 

 


 

● 血染めの梅・血染めの石

浅野内匠頭が切腹して最期を迎えた田村邸にあったもの。内匠頭が切腹した時に血が飛び散り、庭に植えられていた梅と庭石にかかったことから、「血染めの梅」「血染めの石」を称されている。1906年(明治39年)に、泉岳寺に移された。

泉岳寺石梅