47義士

「弓矢の腕前ナンバーワン」早水藤左衛門

弓矢にかけては赤穂義士のなかでも並ぶものがいない、と言われたほどの弓矢の達人。 当時、弓術の世界で

「槍の先に吉良の首を下げ泉岳寺へ向かった才人」潮田又之丞

さに文武両道。山鹿流をうみだした山鹿素行も学んだとされる甲州流兵学に詳しく、東軍流という流派の剣術に

「敵の刀を拾って戦いつづけた勇士」矢田五郎右衛門

父から兵学を学んだ文武両道の武士。戦いの最中、自分の刀が折れても敵の刀を奪ってまで闘いつづけた不屈の

「討ち入り日を決める最重要情報を手に入れた」横川勘平

吉良上野介の屋敷への討ち入り日を決定させる重要な情報を独自のルートで入手した。討ち入りではケガをした

「“徳利の別れ”で有名だが実はお酒は飲めない無口な義士」赤埴源蔵

「徳利(とっくり)の別れ」という講談では大酒飲みとなっているが、実はお酒はあまり飲めなかった。口数(

「志なかばで倒れた父の意志を受けついだ美青年」矢頭右衛門七

志半ばで亡くなった父の意志を受け継ぎ、吉良上野介への仇討ちを心に決めた家族思いの青年。泉岳寺のお坊さ

「内蔵助もその忠義の心を認めた義士」三村次郎左衛門

赤穂藩の武士としては、浅野家家臣の吉田忠左衛門専属の足軽であった寺坂吉右衛門の次に身分が低かった次郎

「もうひとりの「赤城盟伝」の作者」前原伊助

人一倍正義感が強かった。商売上手で、浪人になってからは古着屋や米屋をしていた。神崎与五郎と一緒に書い

「文筆の才能にすぐれ大石内蔵助の代筆もしていた義士 」中村勘助

勘助は奥州(現在の東北地方)の出身であったため、赤穂には家族以外の肉親がいなかった。そのため、吉良上

「親の言いつけを守り名をあげた義士 」冨森助右衛門

お母さんの言いつけを常に守る孝行息子。大石内蔵助の秘書のような役目をしていて、しゃべるのがとてもうま