「芸達者な内匠頭の信頼厚き美青年」 礒貝十郎左衛門

名前    : 礒貝十郎左衛門正久(いそがい じゅうろうざえもん まさひさ)
コピー : 芸達者な内匠頭の信頼厚き美青年
属性  : 赤穂四十七士

磯貝十郎左衛門    磯貝十郎左衛門

 

 


■ キャラクター

鼓や舞の才能があったが、浅野内匠頭に仕える際には芸事をやめ、学問や書画、武芸を熱心に習っていた。その姿に内匠頭は感心。十郎左衛門に目をかけるようになり、「右に片岡、左に礒貝」と称されるほど、内匠頭から信頼されるようになった。

 


■ 刃傷事件まで 

父が仕えていた旗本がお家断絶となり、養子としての引き取り手も見つからなかったので、京都の愛宕山教学院の稚児小姓(ちごこしょう ※1)になった。その後、父と仲が良かった浅野家の家臣である堀部弥兵衛(ほりべ やひょうえ)の紹介で浅野内匠頭の小姓となる。そのときに面接を担当したのが、片岡源五右衛門(かたおか げんごえもん)であった。
何事にも熱心に打ち込み、美青年で利発な十郎左衛門は内匠頭にとてもかわいがられ、家臣になって10年ほどで家禄(かろく  ※2)150石の側用人(そばようにん ※3)になるという大出世をしている。

※1  幼い男児が主と交わりを持つこと。宗教的な意味合いから始まったが、後に公家や武士までもが、美少年を召し抱え寵 愛するようになった。
※2 主君から家臣に支払われる給料
※3 お殿様の側近で、お殿様の次くらいにえらい人

 


■ 刃傷事件当日 ~内匠頭の亡骸(なきがら)を引き取る~

浅野内匠頭にお供して江戸城に出向いていた十郎左衛門は、場内で内匠頭の仕事が終わるのを待っていたとき、刃傷事件があったことを聞かされるが、どうすることもできずにいた。
夕方、内匠頭が切腹したので亡骸を引き取りに来るようにと田村家から連絡があり、片岡源五右衛門ら5名(※4)と共に亡骸を引き取り、泉岳寺(せんがくじ)へと運び埋葬した。このとき、自身の髻(もとどり ※5)を切って仇討ちを心に誓った。

※4 糟谷勘左衛門(かすや かんざえもん)、建部喜六(たてべ きろく)、中村清右衛門(なかむら せいえもん)、田中貞四郎(たなか さだしろう)、片岡源五右衛門
※5   髪を頭の上に集めて束ねた部分

 


■ 刃傷事件後 ~強い風当たり~

十郎左衛門は、主君である浅野内匠頭の仇(かたき)の吉良上野介を討つことを強く望み、その思いを大石内蔵助や他の家臣たちに伝えたが、このとき十郎左衛門は赤穂城内で「稚児あがりの士」と小ばかにされていて、思いは聞き入れられなかった。
そうは言っても、お家再興には同意できなかったのでその連判(※6)には名前を書かず、江戸に戻ったが江戸急進派にも入らず片岡源五右衛門と田中貞四郎の三人だけでモーレツ急進派として活動したため、さらに赤穂城内からの風当たりは強くなった。後に内蔵助の真意を知ることになり、仇討ち計画に加わった。

※6 1通の文書に複数の者が連名で署名をして印を押すこと

 


■ 討ち入り当日 

裏門組として参加。武器は90㎝弱の刀(光盛)。
吉良邸の屋内に突入したものの、午前4時という時間なので屋内は真っ暗だった。そこで十郎左衛門は、仲間たちが動きやすいようにするため、吉良邸にいた小者を捕まえて屋内のあちこちにロウソクをともさせた。
無事に吉良を討ち、浅野内匠頭が眠る泉岳寺へ向かう途中、十郎左衛門の母は危篤状態であることを知っていた大石内蔵助は、遠回りをして十郎左衛門の母がいる家の前を通ろうと気を配ったが、十郎左衛門はその申し出をきっぱり断り、義を貫いた。

 


■ 辞世の句

若水の 心そむかぬ 影もりかな
享年25歳(元禄16年2月4日、切腹)

 


■ 博士のコメント

礒貝さんは、芸事が得意な人だったんです。
切腹の時に大切に持っていたのが、琴の爪だったそうで、そのエピソードを取り上げた映画「琴の爪」が昭和32年に公開されてるんですよー。