名前 :潮田又之丞高教(うしおだ またのじょう たかのり)
コピー:槍(やり)の先に吉良の首を下げ泉岳寺へ向かった才人
属性 :赤穂四十七士
■ キャラクター
まさに文武両道。山鹿流をうみだした山鹿素行も学んだとされる甲州流兵学に詳しく、東軍流という流派の剣術にも長(た)けており、その腕前は大石内蔵助に次ぐと言われていた。
医学や薬学にとてもくわしく、さらに、吉良上野介の屋敷の絵図を製図するなど、絵の才能もあった才人。どんな小さい約束も守る律義な人だったらしい。
■ 討ち入りまで
刃傷事件のときは赤穂にいて、大石内蔵助をサポートした。内蔵助の命令で、江戸急進派を説得するために原惣右衛門、中村勘助らと江戸に向かったが、もともと過激派だったこともあり江戸急進派と意気投合。それによって、内蔵助が江戸急進派の説得にいくことになった。
また、又之丞の妻は内蔵助の叔父の娘だったが、この叔父と息子が仇討ちするグループから抜けたため、討ち入り前に妻と別れている。
■ 討ち入り当日
裏門組として討ち入りに参加した。討ち入りの間は、ずっと裏門組の対象の大石主税を守り、槍(やり)を持って戦った。討ち入りが終わり泉岳寺へ向かうあいだ、討ち取った吉良の首を槍の先に刺して、それを掲げながら歩いた。
■ 辞世の句
武士の道とばかりを一すじにおもひ立ぬる死出の旅路に
享年35歳(元禄16年2月4日、切腹)
■博士のコメント
潮田さんは、絵図奉行でした。冨森さんが手にいれた吉良邸の絵図面を清書したと言われています。討入りの為には、奥さんもお父さんとも義絶して、家臣としての道を貫いた武士の中の武士ですね。