「討ち入り日を決める最重要情報を手に入れた」横川勘平

名前 :横川勘平宗利(よこかわ かんぺい むねとし)
コピー:討ち入り日を決める最重要情報を手に入れた
属性 :赤穂四十七士

 

横川勘平  横川勘平

 


■ キャラクター

吉良上野介の屋敷への討ち入り日を決定させる重要な情報を独自のルートで入手した。討ち入りではケガをしたが命を落とすことはなく、お預けになった家で手当てをしてもらい回復した。


 

■ 討ち入りまで

刃傷事件のあと、赤穂では赤穂城を明け渡すか籠城(ろうじょう ※1)するかの話し合いをしていた。そんなときに大野九郎兵衛岡嶋八十右衛門のあいだで、もめごとが発生。九郎兵衛は家財道具をのこしたまま逐電(ちくでん ※2)したので、勘平は神崎与五郎と一緒にその家財道具を封印する役目を任された。
※1 お城にたてこもること
※2 素早く逃げて行方をくらますこと

その後、赤穂城を明け渡すことが決まると、勘平は江戸に向かい、堀部安兵衛の家で寝泊まりをしながら吉良の動向を探っていた。ある日、勘平は近所に住んでいた茶人から「字が汚いので、この手紙の返信の代筆をしてほしい」と頼まれた。手紙の内容を読んでみると、吉良の屋敷で行われる茶会の日程が12月14日に決まったことが書いてあった。勘平はそのことを大石内蔵助にさっそく報告。続いて大高源五も12月14日に吉良の屋敷で茶会がある情報を別のルートで入手してきた。内蔵助は2つの情報から、茶会が12月14日に行われることを確信して、討ち入りの日を14日に決定した。


 

■ 討ち入り当日 

討ち入りには表門組として参加。槍(やり)をつかって奮闘したが、敵にやられケガをした。
仇討ちを成功させたことを浅野内匠頭に報告するため、義士たちは内匠頭のお墓がある泉岳寺に向かったが、ケガをしている勘平は村松三太夫の肩をかりながら向かった。それでも遅れがちになる勘平を見た内蔵助のやさしさで、途中からは駕籠(かご)で向かうことになった。


 

■ 辞世の句

気懸りも なくて今年の 霞哉
享年37歳(元禄16年2月4日、切腹)


 

■ 博士のコメント

勘平さんは、メンバーの中でも地味なキャラクターですが、大高さんと共に、12月14日の吉良家の茶会を知ることになった重要な仕事をしてます。宗利という漢字で書かれる場合が多いですが、自筆のサインは、宗俊として残しているものもあり、どっちなんでしょうってことでナゾがある人でもあります。