「親の言いつけを守り名をあげた義士 」冨森助右衛門

名前 :冨森助右衛門正因(とみのもり すけえもん まさより)
コピー:親の言いつけを守り名をあげた義士
属性 :赤穂四十七士

 

冨森助右衛門   冨森助右衛門

 


■ キャラクター

お母さんの言いつけを常に守る孝行息子。大石内蔵助の秘書のような役目をしていて、しゃべるのがとてもうまいので、大事な仕事を任せられることが多かった。


 

刃傷事件まで 

浅野家の家臣である冨森助太夫の長男として生まれ、14歳のときに父が亡くなり、家を継ぐことになった。
浅野内匠頭の近くに仕えて警護のような役割をするようになったとき、助右衛門はお母さんから「いつなにがあるかわからないから、いつも20両くらいは持っておきなさい」と言われ、その言いつけをずっと守っていた。
そんなある日、内匠頭が幕府から大きな仕事を任されることになったので、そのことを赤穂にいる内蔵助に知らせるため急に赤穂に戻ることになった助右衛門は、なんと6日で赤穂に到着した。江戸から赤穂までは普通だと15日くらいかかるのに、こんなに早く到着することができたのは、お母さんの言いつけを守っていつも20両持っていたことが大きかったらしい。このことをきっかけに、助右衛門と助右衛門のお母さんは有名になった。


 

刃傷事件

内匠頭のお供をして江戸にいた助右衛門は、高田郡兵衛と一緒に内匠頭が勅使饗応役をするイベントのゲストを迎えに行くなどの仕事をしていた。


 

■ 刃傷事件後 

赤穂藩の取りつぶしにともなった浅野家の江戸のお屋敷を引き渡すときに立ち会い、きちんと引き渡しが終わったのを見届けたあとも江戸にとどまっていた。
江戸にはいたものの、堀部安兵衛江戸急進派のメンバーとは相性が良くなかったので、ひとりで別行動をしていたが、内蔵助が江戸急進派との話し合いをするために江戸に来たときに、内蔵助の仲間に加わることになった。


 

■ 討ち入り当日 

討ち入りには表門組として参加。吉良上野介を討ちとって討ち入りを成功させたあと、みんなで泉岳寺に向かう途中、内蔵助から吉田忠左衛門と一緒に幕府の役人である仙石伯耆守(せんごくほうきのかみ)の家に行き、吉良の屋敷へ討ち入りしたことを報告するように命令された。助右衛門は、内蔵助の秘書のような役目をしていて、しゃべるのがとてもうまかったので、この大事な仕事を任せられることになった。


 

■ 討ち入り後

細川家にお預けになっていた助右衛門は、細川家の人に「細川家にお預けになっている義士たちが切腹したあとは、主君の内匠頭のお墓がある泉岳寺の適当な場所でいいので、全員一緒に埋めてほしい」とお願いをした。その願いが受け入れられ、また他の義士が切腹した家にもそのことが受け入れられ、切腹した46人全員が泉岳寺に葬られることになった。


 

■ 辞世の句

先立ちし人もありけ今日の日を終の旅路のおもい出にして
享年34歳(元禄16年2月4日、切腹)


 

■ 博士のコメント

助右衛門さんは、結構重要なキャラクターです。吉良邸の絵図面を手に入れるのは、岡野さんが大工の娘(もしくは妹)と恋仲になって手に入れたことになってますが、本当は助右衛門さんが手に入れてます。内蔵助さんが江戸に入る時の借家の段取りも助右衛門さんが手配してます。仙石さんとこへの自首を任されたこと自体、かなり信頼されてる証拠ですよね。