「元禄赤穂事件のきっかけになった男」吉良上野介

名前   : 吉良上野介義央   (きら こうずけのすけ よしひさ)
コピー  : 元禄赤穂事件のきっかけになった男

吉良上野介


■ キャラクター

赤穂義士たちの憎き仇(かたき)。若いころは美男子だったらしい。ワイロと茶道が大好き。

 


■ 刃傷事件まで ~ワイロとお茶が大好きないじめっこ~

代々、江戸幕府における儀式や典礼をつかさどる役職(=高家)の家に生まれる。
「高家(こうけ)」とは格式高いほんの一握りの家柄しか就くことのできない役職であり、吉良家も清和源氏足利氏の流れを汲む屈指の家柄であった。そのため、禄高(収入)は小さいながらも、朝廷からの官位も高く、石高の少ない大名と同格以上の存在だったらしい。
子供のころから英才教育をうけて育ち、結婚した相手は武門の誉れ高い上杉家の四女。28歳のときに家を継いでから浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に斬りつけられる61歳までの間は、かなり幅をきかせていたらしい。
勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)の浅野内匠頭を指導する立場にあったが、内匠頭がワイロよこさなかったり融通がきかなかったりと、いちいち生意気だったので、かなりいじめていたらしく、それが刃傷事件につながる原因のひとつと言われている。

 


■ 刃傷事件後  ~記憶にございません~

幕府の取り調べにも「拙者何の恨うけ候覚えこれ無く(私は恨まれるようなことをした記憶がありません)……」と答えている。斬りつけた側の浅野内匠頭は幕府から切腹を命じられているが、上野介は事件の被害者とされ何の罰もうけなかった。内匠頭に斬りつけられた額と背中の切り傷はたいしたことはなかったが、額の傷は残ったとされる。上野介はその年の12月に仕事をやめて隠居したが、この刃傷事件の1年10カ月後に赤穂四十七士に討ち取られた。

 


■ 討ち入り当日 

討ち入られたとき台所の小部屋に2時間ほど隠れていたが、結局見つかり討ち取られた。ちなみに赤穂義士たちは誰一人吉良上野介の顔を知らなかった。本人確認の決め手となったのは、刃傷事件で浅野内匠頭が斬りつけた額の古傷だったという。(元禄15年12月14日死去、享年62。)

 


■ 辞世の句

不明

 


■ 博士のコメント

吉良さんは、本当はいい人だったとして地元の人たちに慕われてるんですよねー。
しかし、物語の中では、完全な悪もんにされてますね。ある意味かわいそうですが、上杉家からたくさんのお金を出させていたのは、マジかもしれません。
でも、この人がいないと忠臣蔵は成立しませんから、チョー重要人物なのは間違いないですねー。