「勇猛果敢だがおっちょこちょいな孟子の子孫」武林唯七

名前 :武林唯七隆重(たけばやし ただしち たかしげ)
コピー:勇猛果敢だがおっちょこちょいな孟子の子孫
属性 :赤穂四十七士

 

武林唯七   武林唯七

 


■ キャラクター

中国の思想家孟子の子孫といわれている。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、唯七の祖父が捕虜として日本に連れてこられた。
勇猛果敢(ゆうもうかかん ※1)で、義にあつく、正しくないことが嫌いな一本気な性格だが、おっちょこちょいなエピソードも数多く残されている。最も有名なのは「粗忽(そこつ)の使者」という話。
ある日、とある公家から広島浅野家本家の江戸屋敷に「かきつばた」というお花のプレゼントがあった。そのプレゼントをおすそわけしてくれるということで、唯七は、このプレゼントを取りに行くよう浅野内匠頭から言われ、馬で広島浅野家本家の江戸屋敷に向かった。屋敷に到着し、座敷に通されたときに、なんとなくふすまを見た唯七は「家紋が違う!」と、びっくり!なんとそこは、訪問する予定だった屋敷の隣の屋敷だった。しかし、いまさら「家を間違えました」とは言えない唯七は、「おなかがペコペコなのでお昼ごはんをいただけませんか?」と、わけのわからない言い訳をしてその場をやり過ごした。
その後、ようやく広島浅野家本家の江戸屋敷を訪問し、プレゼントの「かきつばた」を入手した唯七。しかし、帰ろうとしたときに、偶然火事を知らせる鐘の音が。近くにいた人に「火事が起きたのは鉄砲洲(江戸にあった赤穂藩のお屋敷付近)ですよ」と聞き、びっくりした唯七は手に持った「かきつばた」をムチにして、馬の尻をバンバンたたいて急いで屋敷に帰った。幸い屋敷には火事の影響はなかったが、内匠頭へのプレゼントである「かきつばた」の花は散り、茎も折れ、ボロボロになっていた。これを見た内匠頭は、苦笑いするしかなかったのだとか。なにはともあれ、かなりそそっかしい側面もあったようだ。

※1 危険や困難を恐れずに、力強く思い切りのよい決断をして行動すること。


 

■ 討ち入りまで

普段は江戸の屋敷につとめていたが、刃傷事件のときは赤穂にいた。江戸急進派に属し、早くから仇討ちを主張していた。しかし、なかなか煮え切らない態度の大石内蔵助にしびれを切らし「ご家老(内蔵助)がなかなか動かないのは、あんたらが腰抜けだからだ!」と大高源五に暴言をはき、大ケンカになり、不破数右衛門に仲裁された。このケンカは、義士同士のケンカのなかでもかなり有名である。


 

■ 討ち入り当日

表門組として討ち入りに参加した。勇猛果敢な武士であった唯七。間十次郎と二人で吉良上野介を見つけ、十次郎が一番槍(いちばんやり)を、唯七が一番太刀(いちばんたち)をあびせ、吉良を絶命させた。
また、切腹のときの唯七の気迫に押された介錯人が、首を斬り間違えたときの豪快なエピソードも有名。唯七は、すでに一度首を斬られながらも、この失敗を大きな声で叱り、二太刀目でようやく絶命したとか。しかし、これはおそらく作り話であるといわれている。


 

■ 辞世の句

三十年来一夢中、捨身取義夢尚同、双親臥病故郷在、取義拾恩夢共空
享年32歳(元禄16年2月4日、切腹)


 

■ 博士のコメント

唯七さんは、もともと渡辺さんだったんですが、お兄さんの半右衛門さんが渡辺さんを継いだので、弟の唯七さんは、おじいさんの出身地、中国の武林郡からとって武林を名乗りました。十次郎さんとの一番槍、一番太刀の順番をめぐって、討入り後にもめてることも記録に残ってますが、愛すべきキャラクターであることは間違いないですね。