「自分の思想にもとづき行動した知の侍」木村岡右衛門

名前 :木村岡右衛門貞行(きむら おかえもん さだゆき)
コピー:自分の思想にもとづき行動した知の侍
属性 :赤穂四十七士

 

木村岡右衛門    木村岡右衛門

 


■ キャラクター

岡右衛門は学問に通じた武士だった。とても慎重な性格で、討ち入り参加を決めたのも刃傷事件から1年近く後だったが、その意志は固く、吉良上野介の屋敷への討ち入り前から戒名(※1)を決めていた。

※1 「人は死後に仏様になる」という仏教の考え方から、死者につけられる新しい名前


 

■ 討ち入りまで

赤穂城の明け渡しのときは、潮田又之丞と一緒に赤穂藩内の絵地図を書く仕事を任された。仇討ちの仲間にはすぐに加わらなかったが、赤穂近くの土地にとどまりながらも京都にいる元家臣仲間とは連絡をとりつづけ、刃傷事件から1年ほど経った山科会議のころに仇討ちの仲間に加わった。
岡右衛門は、仇討ちに参加するほど主君 浅野内匠頭と深い親交があったわけではなかったが、仲間たちの思いに共感したことで仇討ち仲間に加わった。

■ 討ち入り当日 

岡右衛門は、「ひとたび討ち入ったら後戻りすることはない」と、討ち入り前に戒名をお寺でつけてもらっている。吉良邸への討ち入りのときにも、この戒名のついた布を左肩につけていたとされる。裏門組に属して、不破数右衛門らとともに全力で戦った。


 

■ 辞世の句

おもひきや我が武士の道ならで御法のゑんにあふとは
享年46歳(元禄16年2月4日、切腹)


 

■ 博士のコメント

岡右衛門さんは、知行合一の人ですね。何が正しいのかを考えて、討入りするのが武士として正しい道だと思って、メンバーに加わりました。一番最後にメンバーになった人です。泉岳寺に引き上げたときに、泉岳寺の白明さんてお坊さんから、一筆お願いしますと言われて、句を残してます。