「神文返しの大役を果たした忠義の士」貝賀弥左衛門

名前 :貝賀弥左衛門友信(かいが やざえもん とものぶ)
コピー:神文返しの大役を果たした忠義の士
即税 :赤穂四十七士

 

貝賀弥左衛門    貝賀弥左衛門

 


■ キャラクター

義士の吉田忠左衛門の弟。浅野家再興の可能性がなくなり討ち入りが決まったときに、本当に討ち入りする覚悟がある者だけを選抜するために、同志に加わると署名した証明書を持って同志の決意を確かめて回った(神文返し)。


 

■ 刃傷事件後 ~同志の討ち入りの決意を確かめる大役を果たす~

刃傷事件直後から大石内蔵助に従って行動した。赤穂城を明け渡した後は、京都で綿屋善右衛門(わたや ぜんえもん)のお世話になっていた。
幕府が浅野内匠頭の弟の大学を広島の浅野家本家に預けると決定し、浅野家の再興の望みがなくなったことを、弥左衛門は江戸にいた忠左衛門から聞いた。それを弥左衛門から聞いた内蔵助は、ついに討ち入りを決意。そこで、内蔵助は討ち入りの意志の固い同志だけを選抜するために弥左衛門と大高源五にある仕事を任せた。それは、同志の証であるみんなの署名が入った証明書を持って同志一人ひとりに会いに行き、「ふぬけてしまった内蔵助に討ち入りなんて無理だから解散しよう」とウソの情報を伝えて、それでも討ち入りする意志があるのか確認する、というものだった(神文返し)。弥左衛門と源五はその大役をみごと果たし、結果130人ちょっといた同志は50人近くまで減った。これが討ち入りした赤穂義士たちである。


 

■ 討ち入り当日 

討ち入りには表門組として参加。おもに門の守りを固めた。


 

■ 辞世の句

不詳
享年54歳(元禄16年2月4日、切腹)


 

■ 博士のコメント

弥左衛門さんは、お母さんのほうの貝賀家を継いで、吉田家から養子に行きました。討入りまでの間、貝賀さんの生活の面倒をみたり、他のメンバーのお金を貸したり、刀を質屋に入れる段取りをしたのが、綿屋善右衛門さんです。貝賀さんは、この善右衛門さんに、家族の後の面倒をお願いしてました。