「仇討ちリーダー」 大石内蔵助

 

名前    : 大石内蔵助良雄 (おおいし くらのすけ よしたか)
コピー : 仇討ち(あだうち)リーダー
属性  : 赤穂四十七士

大石内蔵助    01_大石内蔵助

 

 


■ キャラクター

赤穂藩主だった浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)の亡き後、赤穂のなかまたちを率いて仇討ちを行った中心人物。忠臣蔵などでは健康的でがっしりしたリーダーっぽい見た目で描かれることが多いけれど、実際は梅干しのような丸顔の小男だったらしい。

 


 ■ 刃傷事件まで ~昼行灯じゃない!名家老!~

あだ名は「昼行灯(ひるあんどん)」。行灯とは、江戸時代に普及した照明器具のひとつ。基本的には夜に使うものなので、昼に行灯があっても無用の長物!ということで、簡単に言うと「役立たず」という意味。でも、これは史実ではないようだ。
19歳で大石家を継ぎ、わずか21歳で赤穂藩の筆頭家老(お城の中でお殿さまの次にえらい人)になっている。また、内蔵助が35歳のときに「松山城の受け取り」という仕事をまかされて、その仕事ぶりは「赤穂藩にすごく仕事がデキるやつがいるぞ!」とウワサされるほどだったらしい。

 


■ 刃傷事件後 ~「以後の含みもある」~

45歳のとき、江戸城の中で、赤穂藩のお殿さまである浅野内匠頭が吉良上野介(きら こうずけのすけ)を刀で斬りつける事件が起き、一方的に内匠頭は切腹させられる(詳しくは「刃傷事件」のページを参照)。それと同時に、赤穂藩は江戸幕府にお城をとりあげられ、解散を命じられた。
事件の直後、内蔵助は赤穂藩の家臣のみんなをお城にあつめて大会議をひらく。いろんな意見のグループにわかれ、もめにもめるが、内蔵助は浅野内匠頭の弟・大学をお殿さまにして浅野家を立て直す可能性を信じて「一旦お城は渡して、浅野家を立て直そう。それでも筋が通らない結果になった場合は、このままではおかない。以後の含み(仇討ち)もある。」とみんなを説得した。
その後も、お家再興の機会を狙いながらも、その希望が途絶えたときのためにも仇討ちの準備を進める。京都の山科に引っ越して暗躍したり、江戸にいる「すぐにでも仇討ちしよう!」というグループ(江戸急進派)をなだめたり、内蔵助は浅野家復活(お家再興)のために、とにもかくにも大忙しの日々を生きる。
そんな中、浅野内匠頭の弟・大学が幕府から広島の浅野本家へお預けの刑を言い渡される。これで、浅野家の立て直しは絶望的になり、内蔵助も仇討ちへと向かうことになる。

 


■ 討ち入り当日 ~「万山不重君恩重 一髪不軽臣命軽」~

吉良上野介の家への討ち入りは、表門から進入するグループと、裏門から入るグループの二つにわかれた。この表門組の大将として、内蔵助はこの仇討ちに参加する。装備した小刀には「万山不重君恩重 一髪不軽臣命軽(万の山々よりも主君の恩は重く、その前では自分の命は一本の髪の毛よりも軽い)」と刻まれていた。
赤穂側に一人の死者も出さずに吉良を討ち取り、その首(首級)を持ち、午前6時ごろ吉良邸からみんなで退去。午前9時ごろ、浅野内匠頭のお墓がある泉岳寺に到着し、お墓に吉良の首をお供えして仇討ちの成功を報告した。

 


■ 辞世の句

あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
享年45歳(元禄16年2月4日、切腹)

 


■ 博士のコメント

内蔵助さんは、世界一のヒーローですねー!
明治時代に日本にやってきたフランス人のモズロベールさんて人が、赤穂の花岳寺さんで、
「我が国の英雄ナポレオンは、自分の為に戦ったが、内蔵助は恩人の為に命を捨てた。こんな人は世界にいない」
と言って、一文を残してます。
内蔵助さんみたいな人になりたいですねー